日記とか、工作記録とか

自分に書けることを何でも書いてゆきます。作った物、買ったもの、コンピュータ系の話題が多くなるかもしれません。

「やりがいのある仕事」という幻想(森博嗣)

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)

しばらく前にもBlogで取り上げた本です。その時点では買っていなかったのですが、今日買いました。そして先ほど読み終わりました。森先生のエッセーは、誤解を恐れずに言えば世の中をドライな視点から観察しています。でも、書いてある内容は的を射ているので、読む価値はあると私は感じています。


この本を読む良い点を3点挙げてみます。説明は私が感じたことを書いたもので、必ずしも本の中に同じことが書いてあるわけではありません。


①仕事に対する過剰な期待が無くなる。

これまでの世の中は、仕事は一生勤めあげるもの、それが良い人生につながるのだ、という信念が広く認められていた。しかし、そもそもそのイメージは食べていくために必死で働いてなんとか糊口を凌いでいる時代のものだ。そのような時代では、よく働くことが良く生きることと密接に関係していたのだろう。

現代は生産性が高くなったので、そうではなくなった。仕事の種類によっては単に時間を金に変換しているのであって、真剣に頑張ったからと言って待遇が良くなったり給料が高くなったりするとは限らない。

むしろ誰でもできる仕事なのであれば、機械がその仕事を肩代わりしてしまいポスト自体がなくなるし、そうでない場合でも、長期に勤めたからと言って給料が上がるわけではない。給料を上げなければならないなら、それが経営に負担となる。どこかでその人を解雇して、ほかの人にルーチンワークをさせるほうが安上がりになってしまうのだ。コンビニのアルバイト店員を10年20年勤めたからと言って、給料がいつまでも上がることはないだろう。

ルーチンワークではない、マイナな分野のスペシャリストの仕事は残るだろう、と森先生は書いている。


②世の中一般に広まっている「仕事」像に対して、それがすべての人にあてはまるわけではないことを認識させてくれる。


仕事に対するイメージは人それぞれだけれど、森先生に相談しにくる人には、親や学校等で会う大人から、仕事とは苦労が多いものだとか、その中でやりがいを見つけるのだとか、一定のイメージを持たされていることが多いようだ。確かに私の身の回りにも、やりがいのある仕事がどこかにあるはずだ、と考えている人は結構いるような気がする(恥ずかしくて真顔では聞けないけれど)。さらにいえば、やりがいのある仕事は他の人が奪ってしまったので自分にはこんな仕事しかない、などと考えている人もいる。


仕事というのは、ほかの人にできない、あるいはやると大変なことを、代わりにやってあげるからお金がもらえるのだ。ただそれだけなのだ。やりがいがあるかどうかと直接の関係はない。そもそも、やりがいは自分の中で感じるもので、仕事に付属しているものではない。単純な作業にやりがいを感じる人ももしかしたらいるかもしれないし、世の中のどんな仕事にもやりがいを感じない人だっているかもしれない。感じるかどうかはその人の問題で仕事の問題ではない。


③仕事に必死になるあまり、もしかすると自殺してしまうかもしれない人がこの本を読めば、少なくとも気を楽にさせることはできそうだ。


仕事が何かの理由でつらすぎて、そのままでは自殺してしまいそうな人がいるなら、この本を読ませてみるのが良いかもしれない。少なくとも、自殺する前に辞職することができる可能性は増えると思われる。仕事はやり直すことができるが、死んでしまうとやり直しがきかないから、自殺よりは辞職のほうがずっとましだ。

辞めたら生きていけない、とどこかで刷り込まれている可能性もあるから、辞めること自体が怖いのかもしれないけれど、今すぐ自殺するよりは、辞めて失業手当をもらっている間に何か次の展望が開ける可能性に賭けるほうが分が良いのは明らかだ。


というわけで、仕事に何か疑問を感じているのであれば、一読してみる価値はあるかと思います。経済的にはかなり裕福になった森先生の視点ではありますが、そういうものの見方もあるのかと感じるのは結構大事なことだと思います。